長い人生、それも弁護士などやっていると、時として「生きずらい」と漏らす人に出会う。
人の生き方は、それぞれだから、他人が「それは、これが原因では」とか、「こうすれば」「こう考えれば」などと、安易に言えるものではない。
それでも、長いこと生きて、たくさんの人と交わっていると、経験上、漠然と(科学的な根拠があるわけではないし、極端にデフォルメすることは偏見となり、危険ですらある)3つのパターン行きあたる気がする。
一番多いかもしれないのは、人間らしさを形作っている①感情優位の人々、この人々は、自分の感情が、なかなか満たされない現実に、「生きずらさ」を感じる。それが人間本来の姿なのかもしれない。
その一方で、頭の中で考える②理性を重んじる人々も少なくない。この人々の中には、感情に左右されることを嫌い、感情を露にすること自体抑制的な場合も多い。こんな人々にとっては、自らの理性に反する現実の生き方を強いられるような状況で「生きずらい」と感じるのかもしれない。
ところが、これ以外の「生きずらさ」もある。人間は、みんな、見て、聴いて、そして触って、感じる、そんな③感性が優位の人、そんな感性を優先する生き方にとっては、頭の中で考えたであろう理屈は空虚であり、その場、その場での感情は、本質的なものでない。自らの感性に振り回される「生きずらさ」であれば、とても厄介である。
弁護
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