いつもの風景
ある日突然、近所の脇の建物がなくなり、真新しい空き地になっていました。
毎日とおっているはずなのに全く経過に気がつかず、いつの間に取り壊しがあったんだろう?と驚きました。
さらに、「ここ何だっけ?」「どんな建物だったっけ?」
と建っていた建物を思い浮かべようとしても全く思い出せません。
毎日通っていても、当たり前の風景になりすぎて、何の記憶にも残らないものなんだなと思いました。
相続や遺言の相談で、「わたしはこんなに尽くしたのにまわりには全く評価してもらえない」という話が出て来る相談はとても多いです。
「自分だけが親の介護をしてきたのに他の兄弟は何も感謝してくれない。」
「兄弟のうち長男にだけ尽くして借金も肩代わりしてきたのに長男は当たり前と思っている」
たとえやっている側にとっては大変なことであっても、やってもらっている側は、だんだんそれが当たり前だと思うようになっていたりします。
家族であればなおさらです。
そして、実は法律上も、家族間の普通の介護や扶養は、家族であればやるべきあたりまえの「扶養義務」であって、後に例えば相続の問題になった場合、まるで評価されないこともあります。
もちろん、無私無欲で家族のために尽くすことがうれしい、自分が満足できる、という方はそれで良いと思います。
でも、もしあなたが
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