親や教師の存在意義
パラリンピックでの選手の活躍に多くの感動をもらっているところです。話は変わりますが、先日、電車に乗車していた際、今でも忘れられない程、感動した場面があります。 視覚障害のある方が白杖で電車に乗車し、吊革を探していたようですが、上手く探せず戸惑っていると、20歳前後のスマホを見ながらイヤホンで音楽を聴くいかにもチャラい学生風の女性が、その障害のある方に近づいて、すっと手を差し伸べて吊革につかまれるように誘導したのです。その所作がなんとも自然で何事もなかったかのように振る舞う姿に、痛く感動しました。私はその様子を、ただぼーっとみていただけで何もできずにいたから余計です。 「人は見かけによらない」とは、良く言ったものですが、こうしてブログに書きたくなるほどですし、そのシーンがしばらく頭の中から消えず、とても心が豊かになりました。 さて、講師業をやめ実務に出て久しくなりますが、実務の現場では、かつて私のクラスだった方(以下「教え子」)が活躍している場面に遭遇すると、本当に嬉しくなり、講師業をしていて良かったなと心から思えることが多くなりました。 「親や教師は、子供や生徒に超えられてこそ、その存在意義がある」とは、良く言ったもので、私が受ける研修での講師をしていたり、私が所属する団体や委員会等での役職者だったりすると、その教え子の成長ぶりに感動します。
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