あるところで、「できないと思われる」と書かれていることが、「できるんじゃないか」「できないと困る」と思って、調べています。私自身は、実務上のデリケートな論点について、コラムを書く時は、自分の経験が元であったり、何らかの書籍を引用したり、なるべく根拠のある話にするようにしています。たまたま検索で引っかかったのか、ひとりの司法書士の感覚で書かれた意見だ…なんて、誰も見たくはないはずなので。専門書を元に法務局に照会をかけても、「それは筆者の私見では」と一蹴されたことは、一度や二度じゃありません。結局、何が正しいのかを考えるのは、自分の頭しかない。「AIも使えるよ」という話は分かりますが、専門的なことを調べようとすると、「外国人が書いたような日本語」のような、たどたどしさを感じます。「司法書士以外の人が書いた、司法書士業務に関する文章」も、これもまた司法書士の文章ではないな、と分かります。
Source: 吉田浩章の司法書士日誌-堺市堺区-
書籍やAIが大事でも判断するのは専門家の頭
司法書士

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